フェンディ モントレゾールの買取を致しました。
紐で口を締めるバケットタイプでサイズもお手頃で日常的なシーンで活用しやすくなっています。
フェンディは創業者フェンディ夫妻の5人娘が経営していた時代がありました。
この時期にフェンディは女性向け商品を中心に生産・販売する方針に転換しましたが、この舵取りにはある人物の活躍が不可欠でした。
その人物の名前はカール・ラガーフェルド、フェンディ専属のデザイナーであり、フェンディの発展に大きく貢献しました。
今回はそんなデザイナーカール・ラガーフェルドの人生を振り返っていきます。
ブランド業界のレジェンド
カール・ラガーフェルトは1938年のドイツ西部ハンブルクで生まれました。
カールの家は乳産業従事者として成功しており、裕福な家庭で彼は育ちました。
幼少期からファッションに興味を持っていたカールは両親の後押しもあり、14歳でパリに移住し、オートクチュール協会のファッションスクールでデザインを学びました。
ちなみにこのファッションスクール時代、カールの同期としてイブ・サンローランも入学し、デザインを学んでいました。
その後、16歳の時にIWS(国際羊毛事務局)のコンクールのコート部門で優勝という華々しい功績を残しました。
早くもその才能を発揮させていたカールは卒業後、ピエール・パルマンのアシスタントを務めました。
パルマンの元で経験を積んだ後、様々なブランドを渡り歩きますが、成果が上がりませんでした。
そこで彼は一度パリを離れ、イタリアに移住しました。
イタリアの美術史や文化史に触れ、それらをファッションに活かすために学ぶ期間を作ったのです。
その後、イタリアからファッションメゾンの最前線フランスに戻ってきてからカールは復活しました。
フリーランスデザイナーとして辣腕を振るい、知名度も上がってきたころ、クロエのデザイナーを依頼されます。
この時、カールはクロエ以外のブランドのデザインも同時に携わっていました。
それがフェンディでした。
彼はフェンディでは一番メジャーとも言えるバゲッドを生み出しました。
また、この時にカールはズッカ柄のデザインもしていました。
このズッカ柄はフェンディのイニシャルであるFを上下を組み合わせたもので、ブランドを代表するパターンです。
この実績をはじめ、カールはフェンディの発展に大きく貢献し、1965年から約50年以上もフェンディのデザイナーを務めました。
その後、1984年に自らのブランド「カール・ラガーフェルド」を立ち上げました。
数々のヒット商品を考案しました。
こうして非常に多くのブランドのデザインを手掛けてきたカールでしたが、2019年に亡くなりました。
その一生をファッションに捧げた偉大なデザイナーの死に様々なブランドから追悼の声が上がりました。
彼の功績は今後も語り継がれていくでしょう。
冨田質店ではフェンディをはじめとしたブランド品や腕時計、ジュエリーなどの高価買取・質預かりを実施しております。
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「このバッグ、もう使わないな・・・」
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皆様のご来店を心よりお待ちしております。