当店の買取事例を紹介いたします。
ソルティガEXPEDITION 5500Hの買取をいたしました。
プレミア価格がついていましたので、高価で買い取らせて頂きました。
冨田質店では釣り具でも高価買取・質預かりを承っております。
オフシーズンで使わない間だけの質預かりでも大丈夫です。
お査定は無料で致します。
皆様のご来店を心よりお待ちしております。
当店の買取事例を紹介いたします。
ソルティガEXPEDITION 5500Hの買取をいたしました。
プレミア価格がついていましたので、高価で買い取らせて頂きました。
冨田質店では釣り具でも高価買取・質預かりを承っております。
オフシーズンで使わない間だけの質預かりでも大丈夫です。
お査定は無料で致します。
皆様のご来店を心よりお待ちしております。
当店の買取事例を紹介します。
デュポンのライターになります。
アンティークとして一定の価値があるので買取させて頂きました。
デュポンの商品の紹介は今回が初めてですので、デュポンの歴史や魅力について紹介していきたいと思います。
デュポンは1872年にシモン・ティソ・デュポンによって創業されました。
創業当初は幌馬車の生産と販売を行っていましたが、会社の立ち上げ直後に火災に見舞われてしまいます。
被害は大きく、幌馬車事業の継続は困難で残ったものは小さなアトリエだけでした。
そのアトリエを活用し、シモンは書類ケースやカバンなどの革製品を作り始めました。
旅行カバンなど名作を次々と生み出し、大成功しました。
こうして会社が軌道に乗り始めた頃に息子に事業の引継ぎました。
その後には漆を使った旅行鞄の制作に取り組みました。
当時の旅行鞄にはエナメルが用いられており、重量が増えてしまう欠点がありました。
中国の漆工芸から参考にし、鞄に落とし込んだ商品はヨーロッパでは極めて斬新だったということで革命を起こしました。
これを転機にヨーロッパにおける漆製品はデュポン製という認知が広がっていくことになります。
そんな中転機が訪れます。
1941年に第二次世界大戦が勃発、旅行に行く余裕も無くなり旅行鞄の需要が減り始めてきていたのです。
何か別の事業を立ち上げる必要に迫られたデュポン社はライターに目を付けました。
この時代、まだまだオイルライターが現役だったこともあり、大ヒットしました。
戦争が終わった後もデュポンはライター生産を続けていき、鞄生産は縮小していきました。
航空機が一般市民でも使われるようになり、求められる鞄の形や性能が変わってきたことが背景にあります。
昔ながらの旅行向けトランクは時代遅れになると考えたデュポン社は間もなく、旅行鞄事業を終了したのでした。
こうしてデュポンはライターメーカーとして新たな一歩を踏み出したのです。
その後1951年にガスライターを新たに開発し、販売を開始しました。
この功績は世界に評価され、デュポンは高級ライターメーカーとして認知されるようになりました。
デュポンライターは他のメーカーよりも火力調整が良好で、現在でも根強い人気があります。
一度は消えかかった会社の火を再点火した結果、今のデュポンの地位があると言えるのではないでしょうか。
冨田質店ではデュポンのライターでの高価買取・質預かりを実施しております。
意外なものもお金になるかもしれません。
まずはお値段を聞くだけでも大歓迎です!
皆様のご来店を心よりお待ちしております。
シャネル スモールフラップウォレット キャビアスキンの買取を致しました。
高級感漂う革地は非常に見るものを魅了する力を感じさせる商品です。
シャネルはマトラッセなど多くの人気商品を生み出してきた老舗ブランドです。
数々の名作を生み出してきたブランドにはどのような理念やコンセプトがあるものです。
そこで今回はシャネルの商品やデザイナーというよりシャネルという企業のあり方を見ていこうと思います。
シャネルは女性服に重きを置いた商品開発が行われてきました。
創業者ガブリエル・シャネルが活躍した時代は女性が本格的に社会に進出した時代でした。
アイデンティティを確立していく女性たちをガブリエルは衣服やファッションでサポートしていったのです。
事実彼女のファッションアイテムは既存の価値観を覆すものでした。
例えば、リトル・ブラック・ドレスというものがあります。
これは黒一色で仕立てたシンプルなドレスです。
今でこそ黒い服は日常シーンでも着られるようにはなっていますが、19世紀後半から20世紀初頭までは黒は喪服でしか使わない色とされていました。
そのため、黒を普段着や晴れ着に用いることは禁忌とされてきました。
ですがシャネルは敢えてそこに挑戦し、黒の持つ落ち着いた雰囲気や高級感を演出したことで、ドレスは大好評でした。
このように既存の価値観を打ち破り、女性の社会進出に大きく貢献してきました。
この原点にある理念は今も変わらず受け継がれています。
シャネルは長くブランド価値を維持するために企業理念として「女性の服の解放」と「古い価値観にとらわれない自立した女性像」を掲げています。
また、それらを達成するための3つのミッションも設定しています。
それぞれ「創造主導型のブランド」、「ラグジュアリーブランドのリーダー」、「人間中心の企業」となっています。
まずは「創造主導型のブランド」ですが独自のデザインで今までもこれからも新しいファッションを作っていくことを目標としています。
「ラグジュアリーブランドのリーダー」はブランドとしての手本となるべき姿勢を見せることです。
例えばSDGsの施策など、ただモノづくりをするだけでなく企業として取り組むべき課題に積極的に取り組む姿勢をすべきというメッセージを示しているのです。
最後に「人間中心の企業」というものですが、これは生活のあらゆる場面で自己実現を促進するような商品を作っていくという意味合いになります。
デザインばかり重視して機能や実用性を軽んじるようなことはあってはならないということです。
これは創業者ガブリエルが機能性に優れたレディーススーツを欲しがった原体験に基づいたものでした。
これらをミッションに据えて、シャネルは今もレディースファッションの新たな道を切り開き続けているのです。
ただ良いモノを作るだけでなく、社会的な責任も果たす姿勢が見てとれますね。
冨田質店ではシャネルをはじめとしたブランド品や腕時計、ジュエリーなどの高価買取・質預かりを実施しております。
お査定は無料で致します。
「この財布、もう使わないな・・・」
そんな時はぜひ一度当店へご相談ください!
皆様のご来店を心よりお待ちしております。
オメガ スピードマスター 3513.5の買取を致しました。
人気モデルのため、限界価格でご成約頂きました。
腕時計メーカーは時計事業以外にも正確にタイムを刻む機器の製造なども作成している所が多いです。
特にタイムで全ての結果が決まるスポーツ業界では多くの有名時計ブランドが機器の提供とスポンサーを務めています。
今回は密接に関わり合うスポーツと時計業界について解説していきます。
優れた最新技術を集めてマシンを作り、最高のドライバーでタイムを競う。
それがモータースポーツの醍醐味であり、中でもF1は最速のマシンで1番速いチームを決める頂点と言えるでしょう。
そんなF1業界と時計業界は切っても切れない関係にあるのです。
例えば、タグホイヤーはF1レース興行のスポンサーであったりタイムの計測機器の提供であったりと密接に関わりのあるブランドでした。
また、腕時計もモナコなどレーシングウォッチの販売も行っていました。
更にはフォーミュラ1という直球なモデルも発表され、これは後にタグホイヤー屈指のヒット商品になりました。
他にも史上最速のF1ドライバーとも言われたアイルトン・セ擁するマクラーレンのスポンサーも務めていた時期もあり、セナが身に着けたタグホイヤー製ウォッチは注目の的になりました。
マクラーレンとの契約が満了になった後には、こえかけ
他の時計ブランドも負けじとF1業界に参画しており、今回買い取らせて頂いたスピードマスターを輩出したオメガもその1つです。
オメガはミハエル・シューマッハをアンバサダーとしてタイアップし、コラボモデルである「スピードマスターレーシング」を販売しました。
このモデルはシューマッハが当時所属していたチーム「フェラーリ」のチームカラーだったレッドが用いられ、随所にフェラーリらしさを感じられる逸品として名を馳せました。
このように時計メーカーはモータースポーツ興行に大いに貢献してきたことが分かりますね。
もちろんモータースポーツ以外の競技でも時計メーカーは顔を覗かせています。
まず、挙げられるのはテニスでしょう。
ウィンブルドンや全豪オープン、全米オープンといった世界規模の大会にはロレックスがスポンサーとして就いて大会の運営やアスリートのサポートを実施しています。
また、試合の中でのタイムキーパーもロレックスは行っています。
海外の時計ブランドだけでなく、日本の時計ブランドもスポーツ業界に参入しています。
例えばSEIKOでは陸上と深い関わりを持っています。
きっかけは1964年の東京オリンピックでした。
公式大会で初の電子計時式のタイマーを製作、導入したのです。スタートとゴールの瞬間の計測のラグを極限まで減らすことに成功し、初めてタイム計測で抗議が起きなかった大会とまで評価されました。
これにより、SEIKOは世界で一気に注目を集める事になり、徳に陸上の世界大会でタイム計測機器の導入を依頼されるようになりました。
このようにスポーツと時計には切っても切れない縁が確かに存在するのです。
冨田質店ではオメガをはじめとした腕時計やブランド品、ジュエリーなどの高価買取・質預かりを実施しております。
お査定は無料で致します。
「この時計、もう使わないな・・・」
そんな時はぜひ一度当店にご相談ください!
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makitaのバッテリパックを買い取り致しました。
冨田質店では、電動工具でも買取・質預かりを実施しております。
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是非お気軽にお問い合わせください。
冨田質店の過去の買取実績を紹介致します。
こちらはギブソのレスポールタイプのギターになります。
アンティークとしての価値が高く、高価買取させて頂きました。
ここでギターのあれこれを少し話そうかと思います。
まずはこのギターのメーカーであるギブソンについて振り返っていきます。
ギブソンは1894年に設立されたメーカーで、創設者オーヴィル・ヘンリー・ギブソンです。
創設当初は、ミシガン州でマンドリンの製作をする工房でした。
マンドリンというのはオーケストラで用いられる弦楽器のことです。
このマンドリン製作事業でオーヴィルはフラットバックマンドリンを発明しました。
従来のマンドリンは底が丸くなっていたため、非常に破損しやすくなっていました。
彼は底面とトップをアーチ状に削ることで破損のリスクを減らし、音の響きも改善する構造を考案しました。
オーヴィルはこのフラットバックマンドリンを特許申請しました。
音楽界隈ではフラットバックマンドリンは高評価を得て現在でも1つの楽器タイプとして確立しています。
これがギブソン最初の功績でした。
オーヴィルは1902年に販売会社ギブソン社を設立しました。
彼は会社設立後は会社に極力関わらない姿勢を貫きました。
役員としての業務も最低限に亡くなる1918年までひたすらマンドリンのデザインに専念しました。
創業者が亡くなった1918年から更に、18年後の1936年にギブソン社はギターの生産・販売を始めました。
最初のモデルは「ES-150」というモデルでジャズミュージシャンのチャーリー・クリスチャンの愛用モデルになりました。
マンドリン製作で培われた技術のおかげでギターはプロの音楽家から好評でした。
そんな中、1952年にギブソン社は運命的な出来事が起きました。
それがジャズギタリスト「レスポール」との出会いでした。
この時、ギブソンはレスポールと共同でコラボモデルのギターを製作しました。
こうして生まれたのが「レスポール」です。
太い音色は多くのギタリストを魅了し、人気商品になりました。
その後レスポールジュニアやレスポールスペシャルなど派生モデルも誕生するなど躍進していきました。
また、レスポール氏はギターのデザインだけでなくギブソン社に経営に関する助言を行ったりと様々な側面での活躍をしています。
こうして世界中でレスポールを愛用する人が増え、現代でもエレキギターを代表するモデルになりました。
そんなレスポールを生み出したギブソン社は今後もギター業界を大いに盛り上げてくれるでしょう。
冨田質店ではギターでも高価買取・質預かり実施しております。
最近弾かなくなったギター、遺品のギターなど当店にお任せください!
お査定は無料で致します。
皆様のご来店を心よりお待ちしております。