セリーヌ(CELINE)マイクロショッパーの買取を致しました。
シックなブラックレザーで綺麗な見た目でありながらジッパーや多数のポケットが付いており、機能面においても優れた仕様になっています。
セリーヌは高いデザインセンスが強みのフランスブランドですがこれらのデザインを生み出したデザイナーたちはどのような人達なのでしょう。
今回はセリーヌの代表的なデザイナーに焦点を当てていきたいと思います。
初代デザイナー――創設者セリーヌ・ヴィピアナ――
セリーヌ初代デザイナーは創設者でもあるセリーヌ・ヴィピアナでした。
セリーヌは創業当初、子供向けの靴を製造・販売するブランドでした。
そこからヴィピアナは香水やバッグ、馬具など女性向けファッションブランドへと舵を切ったのです。
そんな彼女の代表的なデザインは「サルキー」です。
馬車が交差したデザインをモノグラム柄にアレンジしたこのデザインは当時の女性をくぎ付けにしました。
その後、セリーヌは経営難に直面しますが、晩年の1997年までヴィピアナが尽力したおかげで現在も存続しています。
創設者の残した業績はとても大きなものでした。
マイケル・コース――セリーヌの救世主――
ヴィピアナ亡き後もセリーヌの苦しい状況は変わりませんでした。
このピンチを打開するべく新たにデザイナーを起用することになりました。
そこでマイケル・コースに白羽の矢が立ったのです。
セリーヌのデザイナーといえば彼の名前を思い浮かべる方もいるのではないっでしょうか。
マイケルはアメリカ出身でデザイン専門学校を卒業後、自身のブランドを作っていました。
その中での大手ブランドからのスカウトは彼にとって大きな転機でした。
実はアメリカ人デザイナーがフランスのブランドデザイナーをするのは極めて異例な事だったようです。
それでもセリーヌは彼の実力を信じてデザイナーに任命したのです。
結果的にこの選択は大成功でした。
マイケルはアメリカの都会的な機能性とブランド特有の高級感が合わさった洗練されたデザインを生み出しました。
中でも既存のシリーズであった「マカダム」をより現代的にアレンジした「パリ・マカダム」はセリーヌの復活の大きな要因と言えるでしょう。
働く女性に人気が出て、ブランドを新たな境地へ導きました。
その後2003年に彼はデザイナーの仕事を降りることになりましたが、セリーヌをよみがえらせたという功績は後世に語り継がれるでしょう。
フィービー・ファイロ――もう1人の救世主――
2008年、セリーヌは再び業績が落ち込んできました。
マイケルの退任後、ロベルト・メニケッティやイヴァナ・オマジックといった別ブランドで活躍していたデザイナーを起用してきましたが、大きな成果を出せずにいました。
そのうち、セリーヌには目新しさが無くなり、客足が遠のいていました。
そんな折にデザイナーとして抜擢されたのがフィービー・ファイロでした。
元々クロエで働いていた彼女は「パディントン」というバッグをデザインします。
これが大ヒットし、セリーヌを三度、トップブランドへと押し上げたのです。
その後、彼女はデザイナーと取締役を兼任し、その敏腕を振るっていました。
彼女のその仕事ぶりからセリーヌを身に着けて仕事ができる人間になりたいと世の女性は思うようになりました。
フィービーはセリーヌをただ復活させるだけでなく、現代の女性にとっての憧れのブランドへと変えたのです。
その後も数多のアイテムをプロデュースし、2018年にデザイナーを退きました。
この時の退任はフィービーロスと呼ばれるほど業界に大きな衝撃を与えたのですが、それほど彼女がデザイナーとして注目されていた証でもあるのです。
現在のセリーヌデザイナー――エディ・スリマン
2018年、フィービーの退任後はエディ・スリマンが後任に選ばれました。
彼はこれまでにディオール、イブサンローランのデザイナーを担当していました。
彼は前任のフィービーとは打って変わってロックな雰囲気のアイテムを考案しました。
それがこれまでのラグジュアリーなアイテムとは異なる印象を受けたため大きな波紋を広げました。
しかし、彼は世間の意見を気にせずに抜本的にセリーヌを改革しようという姿勢でデザイナーを務めています。
言い換えればエディはこれまでにない新しい側面をセリーヌに作り出そうとするチャレンジャーなのです。
実際に彼はセリーヌで初となるメンズアイテムを展開しました。
今後も彼の斬新なアイデアには要注目です。
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