丁稚日記
こんにちは、冨田質店です。今回から質屋のあれこれを「丁稚日記」という形で投稿していきたいと思います。
質屋というと「敷居が高そう・・・」、「難しそう・・・」というイメージを抱く方もいらっしゃるのではないでしょうか?
そこでこの「丁稚日記」を立ち上げる次第になったわけです。
質屋に関連する物事を発信し、質屋をより身近なものに感じて頂けたら幸いです。
さて、「丁稚日記」第一回目は「質屋の歴史」です。どんなものにも必ず起源があります。
質屋も例外ではありません。
日本における歴史
質屋の起源は非常に古く遣唐使が遣わされた6~7世紀頃にはすでにその概念があったと言われています。
そして、質入れのシステムが完成し、店舗を構え始めたのは鎌倉時代とされています。
当時は「質屋」という名称は無く、預かった商品を土の倉で管理していたことから「土倉(どそう・つちくら)」と呼ばれていました。
土倉の主な取引相手は武士達で彼らが所有していた刀はもちろん、なんと所有していた領地まで預かっていたそうです。
土地を質入れ・・・現在では想像もつきませんね。
そして貨幣経済が発達すると土倉は一般の庶民も客層に取り入れ、江戸時代には「質屋」と呼ばれるようになりました。
ここで現代の質屋のシステムが形づくられていきました。
江戸時代では人々は夏には冬の着物を質に入れ、冬は逆に夏の着物を質に入れるように日常生活に密接していました。
そして、大日本帝国憲法が制定された明治時代には「質屋取締法」の制定などの法整備が始まりました。
時代は流れ、1950年に質預かりの際の質料の上限や期限を設けた「質屋営業法」が制定され、現在の質屋の形になりました。
現在では従来の質預かり以外にも買取も行っているのが通例です。
また、質として預かるものは時計やブランド品がメインに移り変わっています。
海外の質屋の歴史
更に、日本だけでなく世界中に質屋は存在していました。
古代ローマでは皇帝アウグスティヌスによる公営の質屋がありました。
また、時代が進みキリスト教が普及するとカトリック教会によりお金のやり取りをする質屋は規制されましたが、ユダヤ教徒により存続していました。
シェークスピアの作品「ヴェニスの商人」では主人公の親友が結婚費用のためにユダヤ教の商人に自身の肉1ポンドを担保にお金を借りていました。
英語で質屋を表すと”Pawn shop”と言います。”Pawn”は「質物」の意味ですがこれはラテン語で「衣類」を意味する”patinum”が由来になっています。
着るものを質に入れるのはどこでも同じようですね。
余談
ちなみに蛇足になりますが、ある遊園地に質屋があるのは皆さんはご存知でしょうか?
それは、「東京ディズニーシー」です。アメリカン・ウォーターフロントにある「マクダックス・デパートメントストア」というお店はドナルドダックの叔父にあたるスクルージ・マクダックが経営している質屋なんです。
マクダックは質屋を経営し、繁盛し、最終的には大きなデパートへと発展させました。お店の中には値札がついたバッジやカメラ、ギターなど様々な質物が展示されています。
ディズニーシーに行く際、一度マクダックス・デパートメントへ足を運んでみてはいかがでしょうか。
まとめ
以上が「質屋の歴史」となります。振り返ってみると古来から庶民の味方として生活に根付いたものでした。
預かる品物は衣類などの生活必需品や嗜好品から電化製品も預かるという変化も伴いつつも、お客様の味方という姿勢は今も変わらずに努めています。
このブログをご一読頂いて、少しでも質屋に興味を持たれた方は是非冨田質店をご利用ください。