ルイ・ヴィトン ビューティーケースの買取を致しました。
程よいサイズ感でセカンドバッグに最適です。
ヴィトン製品は今回買い取った商品も含め、非常に洗練されたものばかりです。
これらは歴代のヴィトンデザイナーのセンスと努力の賜物と言えるでしょう。
中でも初代デザイナーであるマーク・ジェイコブスの功績は非常に大きいようです。
今回はヴィトンの有名人にスポットを当てたヴィトン偉人伝ということでマーク・ジェイコブスに迫っていきましょう。
小さな頃からデザイナー
1963年のアメリカはニューヨークでマーク・ジェイコブスは誕生しました。
はやくに両親の元を離れ、祖母と暮らしました。
この時マークはわずか7歳という年齢でありながら、デザインに興味を持ち始めました。
姉からはジーンズの刺繍のやり方、祖母からは編み物を教わり子供のころから服飾に触れ続けていました。
この情熱は留まることを知らず、彼はニューヨークのデザイン学校「パーソンズ・スクール・オブ・デザイン」に入学しました。
在学中はペリー・エレスのデザイン賞を受賞するなど優秀な成績を残し、主席で卒業していきました。
デザイン学校卒業後のマークは実業家ロバート・ダフィーの元で働き始めます。
ロバートはマークの卒業制作に心を惹かれ、彼をデザイナーとして迎え、会社名も「マーク・ジェイコブス・インターナショナル」に変更しました。
事業も順調に回り始めた時にマークはペリー・エレスのレディース部門責任者に就任しました。
ペリー・エレス時代のマークの代表作はグランジ・コレクションが挙げられます。
これはニルヴァーナやパールジャムといったロックバンドのサウンドを視覚的デザインに落とし込んだコレクションでした。
このコレクションは今までのペリー・エレスには無い斬新なもので、大きな反響を呼びました。
しかし同時にペリー・エレスの伝統を蔑ろにしたという声も多くあり、グランジコレクション発表から4ヶ月後にマークは解雇されてしまいます。
この出来事はファッション業界に知れ渡り、マークの知名度向上のきっかけにもなりました。
ヴィトンのデザイナー時代
その後1990年代、マーク・ジェイコブス・インターナショナルは株式の過半数をLVMHグループに売却します。
この時にマークはルイ・ヴィトンのデザイン仕事に携わるようになります。
この時のルイ・ヴィトンはファッションアイテムの販売事業を始めたばかりのものです。
ファッション事業の成功のためにヴィトンはマーク・ジェイコブスに運命を託したのです。
この選択はルイ・ヴィトン側では議論が起こりました。
新しい物を社外の人間に任せるわけですから非常にリスクのある賭けでした。
ですが、マークはその期待に応え、不安を払拭しました。
彼の先進的なデザインがルイ・ヴィトンの新しい境地へと導いたのです。
彼のヴィトンコレクションには「モノグラム・ヴェルニ」があります。
生後6ヶ月の仔牛から採れるカーフスキンのみを使い、エネメル加工したラインになります。
従来のモノグラムラインはレザーの上に印刷する方式だったのですがモノグラム・ヴェルニの登場により、型押しやエナメルなどモノグラムの表現技法の幅を広げました。
他にも草間彌生さんや村上隆さんともコラボし、限定商品を作成しました。
これらは現在でも非常に高い人気を誇ります。
こうして見事にルイ・ヴィトンファッション部門初代デザイナーとしての役目を果たしたマークは2013年にデザイナーの地位を退きました。
その後は自身のブランドで様々なファッションアイテムを生み出し続けています。
革命児が残したものは現在でも受け継がれ、今のルイ・ヴィトンがあるのです。
冨田質店ではルイ・ヴィトンをはじめとしたブランド品や腕時計、などの高価買取・質預かりを実施しております。
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