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イブ・サンローラン 長財布

イヴ・サンローラン 長財布の買取を致しました。

イニシャルのYSLが特徴的な商品です。

イヴ・サンローランの特集はまだだった気がするので、今回はこのブランドにスポットを当てた記事になります。

良ければお付き合いください。

イヴ・サンローランの軌跡

イヴ・サンローランは1936年にアルジェリアのオランという町で生を受けました。

この時代、アルジェリアはフランスの自治領でした。

裕福な家庭で育ったイヴはパリのデザイン学校へ入り、そこで才覚を示します。

あるコンクールに自らのデザインを出したところ、ドレス部門で最優秀賞を獲得したのです。

ちなみに同じコンクールの毛皮部門ではカール・ラガーフェルトが受賞していました。

彼は後にシャネルのデザイナーになるのですが、それはまた別の話・・・

話を戻します。コンクールで優秀な成績を修めたイヴを雑誌記者が注目します。

この記者はイヴに声をかけ、クリスチャン・ディオールに紹介しました。

彼の手腕を買ったディオールはアシスタントとして起用しました。

クリスチャン・ディオールに就職してからもイヴはその敏腕を振るい続け、遂にはチーフデザイナーの座まで登り詰めました。

しかし、1960年に彼は徴兵によりブランドを離れなくてはなりませんでした。

当時勃発していたアルジェリア独立戦争の参加を余儀なくされたのです。

軍役が終わったのち、イヴは自身の名前を冠したブランド「イヴ・サンローラン」を立ち上げました。

創設当初は恋人のピエール・ベルジェとアメリカの実業家マック・ロビンソンとともに事業を開始しました。

これがイヴ・サンローランの始まりでした。

圧倒的スピードで成長するブランド

イヴ・サンローランは創設当初から大注目のブランドでした。

何せ、「元ディオールのチーフデザイナーが立ち上げたブランド」ということで自然と多くの人が関心を寄せていたのです。

そういった前評判に違わず、イヴは高品質な服をデザインしていきました。

彼のファーストコレクションは飛ぶように売れていきました。

その後も彼は名作を生み出し続けていきブランドを発展させていきました。

中でもモードファッションに非常に長けていたため、「モードファッションの王」と呼ばれるようなりました。

また、最初にファッションに芸術的な要素を盛り込んだのもイヴ・サンローランと言われています。

ファッションショーにブランドの服を出す際に、奇抜なデザインやコンセプトを持ち込んだのです。

それまでアートと呼ばれるものは絵画や彫刻、壺などで服にそういう要素はありませんでした。

ですが、イヴは服に芸術性を落とし込み、ランウェイに持ち込んだのです。

中でも1965年に発表されたモンドリアンコレクションは有名です。

コレクションの名前にもなっているモンドリアンとはオランダの画家ピエト・モンドリアンから由来しています。

モンドリアンは抽象画家として活動しており、イヴは強く創作意欲が湧きました。

そこで彼はモンドリアンへのリスペクトをこめ、「モンドリアンコレクション」と銘打って発表しました。

デザインとしては洋服では見られない鮮やかな色が区切られるように配置されていて、モダニズムを反映したものになっています。

この出来事はファッション業界とアーティスト業界の両方に多大な影響を与えました。

ファッションではショーで発表する服は従来の型に囚われない自由なデザインが出てくるようになり、芸術家の間でも服に着目し、新しいキャンバスとして活用し始めたのでした。

現代でもファッションショーといえば服と言えるのか分からない奇抜なものを着て歩いているイメージがありますが、その源流はイヴ・サンローランにありました。

この翌年の1966年には「イヴ・サンローラン リヴ・ゴーシュ」が設立されました。

これはより安価な価格でイヴ・サンローランの製品を提供するプレタポルテラインとして作られました。

それまでイヴ・サンローランは上流階級向けのオートクチュールを主に販売しており、顧客層が狭まっていました。

それを打開するためにイヴは一般人でも入手できる価格でブランド品を販売するセカンドラインを作りました。

こうしてセカンドブランドも順調に滑り出し、1987年にはパリ証券取引所に上場しました。

これはファッションブランドでは初めての出来事でした。

ですが、一度ブランドは挫折を味わうことになります。

2002年にイヴが引退を発表したのです。

この時、LVMHグループなど巨大な企業の影響力が強くなってきたことが背景にありました。

その影響はイヴ・サンローランにも及び、グッチなどが集まる「ピノー・プランタン・ルドゥート」に買収されました。

創設者が去ったことで他のブランドのライセンス生産がメインになり、イヴ・サンローランは低迷することになります。

しかし、見事に復活を遂げるきっかけがあったのです。

それは2012年にエディ・スリマンがクリエイティブ・ディレクターとして就任したことです。

元々イヴ・サンローランの元で働いていた彼でしたが、ブランド買収の際にディオールへ移りました。

その後にイヴ・サンローランに戻り、様々な改革を行いました。

エディの活躍により、イヴ・サンローランはかつての輝きを取り戻し、一躍ブランド業界の最前線に復帰したのです。

ちなみに、この時にイヴ・サンローランは「サンローラン」とブランド名を変更しています。

この改名もエディの提案だったと言われています。

こうして振り返るとイヴ・サンローランは常に新しいものを作り出すファッションブランドにおけるブレイクスルーと言えるのではないでしょうか。

冨田質店では、イヴ・サンローランをはじめとしたブランド品や腕時計、ジュエリーなどの高価買取・質預かりを実施しております。

お査定は無料で致します。

「この財布、もう使わないな・・・」そんな時は是非一度冨田質店へ!

皆様のご来店を心よりお待ちしております。

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歯科用純金K24板買取いたしました

珍しい地金を買取いたしました、以前にも純金板を買わせて頂いた事は何度もありましたが、「歯科用」と記載のあるパッケージを見るは初めてです。

歯科で加工用に使われていた物だと思います。
今は保険適応外でセラミック ジルコニアなど見た目にも体にも優しい歯の素材は多くありますが、昔は金歯が一択でした。

今回は金歯について色々調べてみましたので、良ければどうぞ。


最古の差し歯

金歯が使用された記録の中で一番古いものは古代エジプトにまで遡ります。

当時のエジプト王朝では金を使った装飾品は重宝されました。

ネックレスや王冠、中にはツタンカーメンのように大型のマスクにも金は使われ、差し歯も例外ではありませんでした。

金色の歯は王族たちが一般市民とは違うというアピールとして親しまれていました。

また、エジプトでは死後の世界が信じられていたため、ミイラを作る文化がありました。

このミイラ作りの際に歯を金歯に差し替えることがあったようです。

金は長年経っても劣化しにくくずっと綺麗に輝くので、その人が永遠に生きられるようにという願いを込められて金歯に入れ替えていたとのことです。

また、技術的な面でも金属としては柔らかい部類で加工しやすいという点も金歯が作られた理由として考えられそうです。

金歯の文化はエジプトに留まらず、各地で記録が見つかっており、人類の歯科技術のそばを歩んでいたことがわかりますね。

金歯は中世になるとヨーロッパにも普及しました。

虫歯ができたら抜いたままにしていたヨーロッパの歯科医学を金製の差し歯は大きく発展させました。

これまで通り、富や権力といった自分の力をアピールするためにも使われていましたが、この時期から医学的観点からも注目されるようになってきました。

そこからさらに時代が進むと金の採掘技術も発達したことで、以前よりも量も効率も大幅に改善しました。

これにより、金歯は一般層にも普及するようになっていきました。

このような歴史を歩んできて現在でも金歯の技術は残っています。

金歯の利点

現在でも金歯自体は残っているものの、使用頻度は下がりつつあります。

より本来の歯の色に近いセラミックやジルコニアなど違和感の無い差し歯が台頭してきたことが原因です。

また、金属製の人口歯でも銀歯も登場しているので、なおのこと選ばれにくいです。

ですが金歯独自のメリットも存在します。

まず、金歯は金属アレルギーのリスクが少ないです。

銀歯はアレルギー反応が出たり経年劣化もし、そこから虫歯が再発する恐れもあります。

これに対して金歯は酸にも強いため、劣化のスピードが極端に遅く腐食しないので、虫歯のリスクも低減します。

それに加えて、金は耐久性と柔軟性を両方兼ね備えた素材です。

そのため、強い力で噛んでも割れにくく、自然なかみ合わせも再現します。

ですが、金歯は保険適用外なので、費用が高くなるという欠点があります。

何より、金歯は目立ちます。

乳白色の歯の中に金色の歯があると不自然に感じてしまう人は多くいます。

こういったデメリットも決して無視できない要素であるため、金歯は避けられる傾向があるのです。

しかしながら、金歯には独自の強みはもう1つあります。

それは素材の価格です。

正確に言うと買取価格です。

他の素材ではあり得ないレベルで高値で売れるのです。

金なので、どういう状態であれその重さ分の価値は保証されているという利点があります。

今まで金歯を使っていたけどセラミックなどに変えた人はチャンスです。

冨田質店では金歯の地金買取を実施しております。

状態が悪くても欠けていても問題ありません。

加工前の素材の状態の金も大歓迎です!

皆様のご来店を心よりお待ちしております。

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貴金属を多数買取りました

貴金属を多数買い取り致しました。

「遺品整理の際にジュエリーボックスが出てきた」とのことで宝石のデザインも含めて値段を査定し、限界価格で買い取り致しました。

冨田質店では、貴金属の買取は1点からでも10点以上など多数の商品でも承っております。

「片付けのついでにお小遣い稼ぎ」くらいの感覚で当店をご利用ください!

皆様のご来店を心よりお待ちしております。

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ルイ・ヴィトン ピアス

ルイ・ヴィトン ピアスの買取を致しました。

LVの形状で通常のモノグラムとはまた違った趣があります。

ピアスとは今では人気なアクセサリーの1つですが、そもそも始まりはいつ頃なのでしょうか?

今回はピアスというジャンルに絞った特集になっています。

儀式的側面の道具

ピアスの起源はインドやエジプトの古代文明時代にまでさかのぼります。

登場時期に多少の前後はあれど、同じアイテムを違う地域で思いついたという事実は興味深いですね。

当時ではファッション用アクセサリーではなく、魔除けやお守りという意味合いの方が強いアイテムでした。

今より遥か昔、紀元前の時代は病気は非常に恐れられていました。

その上、科学技術という考えも無かった時代のため、病気は悪い神様や悪魔の仕業と考えられていました。

このような背景もある中でピアスなどの装飾品は病魔を寄せ付けないお守りとして重宝されたのです。

中でも金は光り輝くことから光を恐れる悪魔を退けるとも考えられ、金がよく用いられました。

起源は主にインドやエジプトと言われていますが、その後にピアスは各地に伝播していきました

そして西暦が始まってからはローマ帝国が3世紀ごろにエジプトから伝来してきたことでヨーロッパでのピアス文化が始まったと言われています。

ローマ帝国内では主に男性がピアスを付け、自らの権威を示す装飾品としての役割を持っていました。

一方、中国にもシルクロード経由で伝わりました。

この時、中国は秦王朝の時代で戦国時代でもありました。

この国では武将など自らの力をアピールするために用いられました。

また、西暦に入ってからはピアスのデザインも複雑化していく傾向があります。

紀元前のピアスによく見られるのはリング状のピアスですが、花の模様や自身の家紋といった複雑なものが登場するようになります。

これは生産技術の向上もありますが、それまでの呪術的要素よりも自らの身分を証明するファッションや社会的地位を分かりやすくする記号的な意味合いが強くなってきたこともあります。

そういった経緯からユーラシア大陸ではファッションアイテムへ役割が変わっていきました。

これにより、今のピアス文化があるのでしょう。

日本のピアス史

日本では古代よりピアスを着用する文化は定着していません。

縄文時代には耳飾りが何点か出土していたり古墳の中にある埴輪にピアスを付けている個体が発見されてはいるものの、その後に平安貴族や武士が身に付けていたとされる記録は残っていません。

とはいえ、ピアス普及のチャンスはあったのです。

それは仏教の伝来です。

経典や教えなど様々なものが流入してくる中、仏像も日本に入ってきました。

それらの仏像には耳朶環(じだかん)と呼ばれる耳たぶの穴がありました。

そこにリング型のピアスがつけられています。

ですが、701年に大宝律令が制定され、身分を衣服で示すべきという項目がありました。

この律令が定められたため、ピアスなどで身分を証明する必要がなくなったのです。

また、この時期には中国起源の儒教も普及していました。

その中には「身体髪皮膚之を父母に受く。敢て毀傷せざるは、孝の始めなり。」という教えがありました。

これは「せっかく親から頂いたきれいな身体をわざわざ傷つけるような事をしないことが親孝行の始まり」という意味です。

皆さんも「親からもらった身体に穴を開けるなんて」とピアスに反対されたことはありませんか?

こういった考えの方がピアスより先に普及していったのです。

ここが日本のピアスを忌避する文化が始まりました。

その後は昭和の高度経済成長期になり、再び耳飾りの注目が集まり、ようやく日本でも使用されるようになります。

それでも、職場では着用禁止など未だ厳しいルールはあります。

仕事中などオフィスシーンでは使えないからこそオフの日やパーティーなどで使えるピアスで自分を表現してみましょう。

冨田質店ではルイ・ヴィトンをはじめとしたブランド品や腕時計、ジュエリーなどの高価買取・質預かりを実施しております。

お査定は無料で致します。

「このピアス、もう使わないな・・・」

そんな時はぜひ一度当店へ!

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ルイ・ヴィトン ネヴァーフルMM モノグラム アンプラント

ルイ・ヴィトン ネヴァーフルMM モノグラム アンプラントの買取を致しました。

黒地のキャンバスにモノグラムがさりげなくちりばめられており、上品な仕上がりになっています。

ルイ・ヴィトンは皮革製品をメインに商品を展開しているブランドですが、その素材には尋常じゃないこだわりがあります。

今回はそんなヴィトン製品の素材特集になります。

モノグラムとダミエ

今やヴィトンの顔になっているモノグラムとダミエですが、実はレザー地ではないのはご存じですか?

これら2つのラインはトアル地という素材で作られています。

これは綿素材にPVCという合成樹脂を表面にコーティング処理をした素材で汚れにくく、耐久性も抜群という性質があります。

さらにそこにシボ加工が施されることでプラスチック感を抑えるようにっされています。

この処理がされているおかげでまるで革のような手触りを実現しているのです。

ひと昔前ではこういった合成皮革の類の商品はとても高品質とは言えないものばかりでした。

しかし、製造技術が発達してきたことにより、見ただけでは動物由来の革か合成の革か区別するのは難しいほどにまでなりました。

ブランドアイテムはもちろんのこと車のシートなどでもこういった技術が用いられています。

こうしてみると、完璧な素材に見えるトアル地ですが、弱点も存在します。

それは加水分解が働いてベタつきが発生していまうことです。

加水分解とは水分と生地が触れると科学反応でプラスチックが溶けてしまいます。

これにより、表面にコーティングされた合成樹脂が剥がれたりベタベタになってしまうのです。

実際使い込まれたヴィトン製品の中にはひび割れが起きてるものがあるかと思います。

これも加水分解で起きる現象の1つということです。

ですが、このような欠点もあるにもかかわらず、モノグラムとダミエは双方共に多くのバリエーションが生み出され続けています。

それはヴィトン自身もこの素材に自信があり、購入者もその魅力が理解されているという証拠と言えるでしょう。

エピ

エピもヴィトンを代表するラインです。

「エピ」とはフランス語で「麦の穂」を意味する言葉で、表面の波状の模様が麦の穂がなびくように見えることから由来しています。

このエピには本革が使われています。

中でもエピに用いられる革はグレインレザーと呼ばれる物を使用します。

グレインレザーとは革の表面にあるデコボコや肌理(グレイン)などを可能な限り残して革のことです。

従来のレザーは革を採取した後、表面をなめして平に加工しますが、それを可能な限り残すいわゆる素材の味を楽しんでもらうタイプのレザーがグレインレザーなのです。

エピの財布を振り返ると確かに波状のグレインが確認できます。

これがあのなんとも言えない独特な触り心地の大きな要因です。

このグレインレザーですが、肌理に合わせた細かい型押し処理がされているため、衝撃に強く傷が目立ちにくい点が強みでしょう。

しかし、エピは染色して製品になっているので水に濡れてしまうと色落ちしてしまう恐れがあるので、注意が必要です。

それを除けば、エピは常に綺麗で使えば使うほど味が出てくる魅力的なラインなのです。

ヌメ革

ヌメ革もよくヴィトンで連想されるものです。

ヌメ革は素材の総称というよりも加工技術の名称の方が正しいでしょう。

なめし加工の方法で呼び名が変わり、ヌメ革もなめし加工の技法です。

そもそも「なめす」とはどういう作業なのでしょうか。

一般的に動物の革には脂肪などタンパク質が多く含まれています。

これらをそのまま残して革に加工しても脂肪やタンパク質が腐敗して、すぐに使い物にならなくなってしまいます。

なめし加工はこの腐敗を防ぐために皮の脂肪などを除去する作業になっています。

煙でいぶしたり塩を漬けたり様々な手法のなめし加工があります。

こうした多彩な技法の中に茶葉や柿渋などに含まれる植物由来のポリフェノール「タンニン」に漬けてなめす方法があります。

これこそがヌメ革の製造するためのなめし方なのです。

実際のヴィトン製品には特定の商品というよりも部品にヌメ革は使われています。

具体例を挙げるとバッグの持ち手部分によくヌメ革は用いられます。

実際に手に触れて持つ部分なので、滑らかな触り心地を実現しています。

バッグ本体以外にも使い手が快適に使用できるよう、ヴィトンは細部にまで妥協を許さない姿勢がうかがえる素材です。

冨田質店では、ルイ・ヴィトンをはじめとしたブランド品や腕時計、ジュエリーなどの高価買取・質預かりを実施しております。

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ティファニー ティアドロップ フープ ピアス K18買取いたしました

ティファニー ティアドロップフープ ピアスの買取を致しました。デザインも優れており、さりげなく使えるブランドジュエリーらしい上品さも演出しています。

ティファニーは結婚指輪で購入されたりと洗練されたデザインで支持を集めているブランドです。

今回買い取らせて頂いたティアドロップもまた、ティファニーの花形的立ち位置のジュエリーです。

デザインしたのはエルサ・ペレッティ氏。

エルサはオープンハートのデザインも手掛けたティファニーを代表するデザイナーです。

今回はティファニーの発展に大きく貢献したデザイナー、エルサについて掘り下げていきます。

ティファニー代表商品生みの親

エルサ・ペレッティは1940年のイタリアに生まれました。

彼女は元々はモデル活動をしていました。

1964年からスペインはバルセロナにいぇ芸術家サルバドール・ダリの専属モデルとしても働いていました。

モデル活動と同時にエルサはジュエリーのデザイナーとしても活動を始めました。

モデルとデザイナーの2足のわらじで持ち前のセンスを発揮した彼女は1968年にニューヨークへ移り、そこで転機が訪れます。

アメリカのファッションデザイナーであるジョルジョ・ディ・サンタンジェロがファッションショーでエルサのジュエリーを使用したのです。

大手デザイナーに評価されるほどのジュエリーということでそのショー以降エルサは注目の的となりました。

まさにシンデレラストーリーな展開ですが、それも彼女のデザインスキルによるもので決して偶然ではなかったのです。

その後1971年にはコティ・アメリカ・ファッション批評家賞を受賞するなど実力が認められていきました。

また、この頃に後の親友となるロイ・ホルストン・フロウィックと出会います。

ロイはホルストンというブランドの創業者であり、エルサは彼と何度もコラボ商品を考案しました。

そして1974年にエルサはついにティファニーのデザイナーに就任しました。

これが伝説の始まりでした。

彼女初のコレクションはなんと発表当日に完売してしまうという出来事があります。

それだけエルサのデザインセンスは卓越していたということを端的に表したエピソードとしてよく語られます。

これを皮切りにエルサは傑作を数多く生み出しました。

例えばオープンハートは彼女がデザインした商品で、今のティファニーでは定番になっています。

他にもバイ ザ ヤードやボーンカフなどブランドの象徴的なシリーズを考案・発表していき、エルサはティファニージュエリーの礎を築く大きな存在でした。

これらエルサ考案のジュエリーに共通しているのは「シンプルな流線形のデザイン」ということです。

数々の名作のジュエリーはどれも曲線美が強調され、滑らかな形状で人の心の温かみを感じさせます。

ティアドロップもまた、エルサのジュエリーです。

「悲しみの涙は金に代わり、やがては悲しみを乗り越える」というコンセプトの元作られました。

もちろんこのティアドロップも曲線的の例外に漏れません。

悲しい出来事もハッピーになるようにという思いからよく人のプレゼントにも選ばれます。

そんなティファニージュエリーの第一人者であるエルサでしたが、2021年に多くの人に惜しまれながらこの世を去りました。

彼女が加入していなかったら、ティファニーは別のブランドになっていかもしれません。

それほどまでに偉大なデザイナーだったのです。

記念日にパートナーへの贈り物として今度はティファニーのアクセサリーを考えてみるのもいいかもしれませんね。

冨田質店では、ティファニーをはじめとしたブランド品や腕時計、ジュエリーなどの高価買取・質預かりを実施しております。

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「このピアス、もう使わないな・・・」そんな時は是非一度冨田質店へ!

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