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エルメス ヴァルパライソPM

エルメス ヴァルパライソPMの買取を致しました。

柔軟でありながら非常に丈夫なキャンバス生地で使いやすさは抜群です。

エルメスはルイ・ヴィトンに並ぶ超老舗ブランドです。

以前、タンデムの記事の時にはHウォッチの歴史について解説してきました。

今回はエルメス自体の歴史について振り返っていきたいと思います。

エルメスオリジン

エルメスは今から約190年前の1837年のパリで誕生しました。

創設者の名前はティエリー・エルメスです。

ティエリーは元々は宿屋の家に生まれました。

しかし、戦争や病気で両親を失い、孤児となってしまいます。

孤独になったティエリーですが、13歳の頃に革職人のもとに弟子入りします。

そこで彼は技術を磨き、パリに移住してからも工房でなめし技術などを学んでいきました。

そして、ティエリーが36歳を迎えた時、独立しエルメスを立げました。

実はエルメス黎明期は馬具を中心に製造する工房でした。

19世紀、ヨーロッパでは近代化が進んでいる最中とはいえ馬車移動は多く用いられた時代でした。

ティエリーは馬具を馬車屋に営業をして回り、自分の商品を置いてもらっていました。

この馬具がまた大変良いものでした。

基本的にティエリーが利益よりも品質にこだわるスタンスだったので、丁寧なつくりは大変評判になりました。

彼の手掛けた縫製やなめしはもちろん時間をかけて行われ、高品質でしたが、他の馬具工房にはない特徴がありました。

それは馬にもストレスの少ない馬具だったのです。

ティエリーの作る馬具は他のものより角が少なく、丸美を帯びたデザインになっているので、馬にかかるストレスを極限まで減らすことに成功しました。

ティエリー製馬具の好評具合は凄まじいもので、エルメス初期の顧客にはナポレオンやロシア皇帝といった歴史上のカリスマもいたほどでした。

エルメスの始まりは馬具というのは少し意外でしたよね。

三代目エルメスの革命

では、いつ頃からエルメスはバッグや財布を作り始めたのでしょうか。

それは20世紀前半頃からになります。

ブランド創設から結構経っています。

20世紀は人々の移動手段は馬車から自動車に移りかわった時代でした。

馬を使う機会が減り、馬具の需要も翳りを見せていました。

このままでは、生き残れないと判断した当時の経営者エミール・エルメスは新事業を開始します。

3代目であるエミールは過去にエルメス初のバッグ「オートクロア」を製作・販売した経験がありました。

このバッグは馬具を保管しておくという代物で、豪華なイメージのあるエルメスとは対照的な実用的で無骨なバッグでした。

エミールはこの時の経験を活かしてファッションバッグの製作をブランドの軸にしていくことを決意しました。

この時、家族や職人には強く反対されたそうですが、それでも彼は考えを変えませんでした。

エミールはこれからの移動手段である自動車や鉄道、汽船といった長距離移動で使えるバッグを模索しました。

彼は当時の革新的な技術を盛り込んで実用的かつファッショナブルなバッグを考案しました。

エミールの手掛けたバッグで有名なものはブガッティがあります。

これはアメリカで考案されたジッパーをバッグにも採用するという初の試みがなされたバッグでした。

これにより、収納機能を格段に上げることができ、これをきっかけにエルメスの様々なバッグに使われるようになりました。

こうしてエミールの類まれな才能により、数多くの名作が世に出ました。

また、エミール時代のエルメスはもう1つ革新的なものを生み出しました。

それは、ショーウィンドウの導入です。

店の前をガラス張りにし、そこに新作の鞄やコートを展示するようにしたのです。

店の前に煌びやかな商品を配置してたまたま通りがかった人の興味を引いたり集客効果抜群な施策でした。

今でこそブティックといえばショーウィンドウを思い浮かべますが、エルメスが元祖だったのでした。

エミールは20世紀という時代の転換期を見事に読み取り、それまでにない独創的なアイデアを用いてエルメスを世界的ブランドに発展させる基礎を作り上げたことが良く分かりますね。

冨田質店ではエルメスをはじめとしたブランド品や腕時計、ジュエリーなどの高価買取・質預かりを実施しております。

お査定は無料で致します。

「このバッグ、もう使わないな・・・」

そんな時は是非一度冨田質店へ!

皆様のご来店を心よりお待ちしております。

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ルイ・ヴィトン ポルトフォイユサラNM

ルイ・ヴィトン ポルトフォイユサラNMの買取を致しました。

村上隆氏のデザインが目を引く色彩豊かな商品です。

ルイ・ヴィトンは言わずと知れた皮革ブランドです。

ですが、シャンパンや化粧品、それらに加えて旅行や出版といった事業も行っているのはご存知でしょうか。

そのカラクリの正体はLVMHグループです。

このグループに多くのブランドが参加してその中で事業を展開しています。

今回はこのLVMHの誕生経緯ややっていることなどを紹介していきます。

LVMHの成り立ち

LVMHグループは1987年に創設されました。

元々はルイ・ヴィトンとモエヘネシーが合併により、誕生したグループでした。

しかし、黎明期は経営が上手く回っていませんでした。

というのも、ルイ・ヴィトン側とモエヘネシー側の経営陣が対立してしまい、足並みが揃っていなかったことが原因でした。

そんないきなりピンチを迎えたLVMHグループでしたが、そこに新たな経営者が就任します。

彼の名前はベルナール・アルノー、クリスチャン・ディオールの株主の1人でした。

アルノーは元々ファッション業界の人間ではありませんでした。

彼が不動産業に着手していた頃、アメリカに渡って仕事をしていました。

その時にタクシーの運転手の「フランスの大統領の名前は知らないが、ディオールは知っている」という話を聞きました。

このことがきっかけで次にビジネスチャンスはフランスのファッションブランドにあると確信したアルノーは早速、ディオールの株を買収したのです。

大株主となったアルノーはLVMHグループの株を一部買収し、経営権を得ました。

こうして1989年にはアルノーが経営に加わり、その後にグループの株を購入し、会長に就任しました。

アルノーが指揮を執り始めてからのグループはそれまでの不調から一転し、成功の道を歩み始めました。

彼の冷酷とまで評される経営方針により、多くのブランドをグループ傘下に収めることに成功しました。

アルノーの言動や業績から、彼には「ファッション界の法王」や「カシミヤを着た狼」、「ターミネーター」といったあだ名が付けられました。

この通称から彼の人となりが想像できますね。

凄腕経営者アルノーの尽力もあり、現在LVMHグループは70以上のブランドが傘下に入り、世界最大規模のコングロマリット(多業種複合企業体)へと成長を遂げたのです。

LVMHの強み

非常に多くのブランドが所属しているLVMHグループですが、その実態は独特です。

まず、様々な企業が同じグループにありますが、商品の展開などはそれぞれのブランドに委ねられています。

ブランドやメーカーはグループ参加前と変わらずに自分の商品は自分で企画し、販売・提供を行っています。

では、なぜわざわざ巨大なグループの下につくことになるのでしょうか。

それはコミュニティのメリットがあるからです。

LVMHグループは「創造的であり革新的である」、「卓越性を提案する」、「起業家精神を育む」、「ポジティブなインパクトをもたらす取り組み」という4つの企業理念を掲げています。

これらには様々な意味が込められていますが、要約すると各ブランドで切磋琢磨してより独創性の高い物を作っていこうという行動方針を示しています。

基本的なルールがあり、それを前提としてあとはブランドごとに自由にやってお互いのいい刺激になるような計らいなのです。

クリエイティビティが求められる業界だからこそ、技術者や職人の向上心を高める工夫が必要になってきます。

また、もう1つ組織化する利点があります。

それはサポートです。

これに関しては実際の事例を紹介していきます。

例えば、LVMHグループ傘下のティファニーは去年の4月28日に

ニューヨークに店舗を出店しました。

そして、その店舗は過去最大規模のものになりました。

店の装飾も豪華絢爛でマンハッタンのランドマークの1つとなっています。

この出店自体は買収前から計画されていましたが、LVMHグループの資本力が大きな要因と言えるでしょう。

また、同年9月13日にティファニーが日本の表参道に出店しました。

ティファニーは2013年にグループに買収されたブランドで、これまでにニューヨーク本店と銀座本店をを開いてきました。

表参道には多くのラグジュアリーブランドがひしめくブランドにとっての一等地と言える場所でした。

そこに店を構えるために莫大な資金、信頼が必要でした。

ティファニーがそんなブランド業界のメッカ表参道についに出店しました。

これもバックにLVMHグループがついていたということは少なくとも影響しているようにも考えられます。

例えいかに優れた商品を提供できるブランドでも、単独での力には限りがあります。

そういったブランドを支え、創造性豊かなコンテンツを生み出すことに最大の援助をする。

LVMHグループの存在意義はそこにあるのではないでしょうか?

冨田質店ではルイ・ヴィトンをはじめとしたブランド品やジュエリー、腕時計などの高価買取・質預かりを実施しております。

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ROLEX 116234G

ROLEX 116234Gの買取を致しました。

ロレックスの時計には様々な情報が含まれています。

モデル名、型番、シリアルナンバー、など1つの時計だけでも膨大な情報が盛り込まれています。

昔のモデルであれば、型番やシリアルナンバーから製造年代が分かるということもありました。

今回はロレックスの時計に付くあれこれを紹介していきます。

なお、シリアルナンバーのルールなどは公式の声明ではなく、あくまでファンの間における通説となっていますので、その点はご了承ください。

製造年代が分かるかも?

ロレックス好きの中にはシリアルナンバーを気にする人も存在します。

それほど重要なファクターになっています。

まず、シリアルナンバーとはどの番号のことを指すのでしょうか。

1つの時計でもたくさんの数字の羅列があってどれか分かりにくいですよね。

シリアルナンバーは保証書があれば、シリアルナンバーの欄から確認できますし、本体にもブレスを外すと6時方向に刻印されています。

また、近年ではルーレット番というベゼルの内側にシリアルナンバーが刻印されているパターンもあります。

シリアルナンバーは1920年代から導入が開始され、当初は6桁の数字のみで管理されていました。

しかし、数字のみで管理できる台数の上限が近づいてきたため、新たなシリアルナンバーを作る必要がありました。

そこでロレックスはシリアルの頭にアルファベットを導入しました。

この初期のシリアルの時計は頭の2桁の数字をとって「○○番台」と呼ばれることが多いです。

これにより、シリアルナンバーのパターンが増加し、管理できる時計の数を増やす事に成功しました。

ちなみにアルファベットはA,B,Cから始まるのではなくR,L,E,Xから始まっています。

これはROLEXのアルファベットから由来しています。

なお、ROLEXのOは数字の0と判別がつきにくかったため、シリアルでは採用が見送られています。

このアルファベットタイプのシリアルは1987年に導入され、ファンの間では「R番、F番」と呼ばれています。

しかし、アルファベットでもやがては限界が来るものです。

そして、2010年にはアルファベット番は終了になりました。

その後は無作為に選ばれた6つの英数字を組み合わせたランダムシリアルに変更されました。

以前まではアルファベットから製造年を推測できるようになりましたが、ランダムシリアル導入後はシリアルを見ても製造年代を把握することは困難になっています。

要約すると数字だけのものは1987年以前、頭にだけアルファベットがついていたら1987年~2009年まで、ランダムなら2010年以降に作られたということになります。

シリアルがステータスに

以上がロレックス製品のシリアルの概要になります。

シリアルナンバーを見ると製造年代を推測することができるわけです。

ですが、「シリアルナンバーを気にしてどうするんだ?」とは思いませんか?

確かに、シリアルナンバーはメーカー側には商品の管理に効果的です。

一方で、我々購入者からすると一見ただの英数字の羅列にしか見えません。

これがまたロレックスの奥深いところで特定のシリアルナンバーが入っている時計は高い人気があるのです。

どんなパターンがあるのか紹介していきましょう。

例えば、エクスプローラーI Ref.114270。

この時計は2000年から2010年にかけて製造された時計なのですが、シリアルナンバーがGから始まるいわゆるG番が特に希少価値が高いと人気なのです。

このモデルのG番が出たのは2010年頃、前述したようにこの時期はアルファベット番からランダム番に切り替わる年でした。

つまり、このG番は最後のアルファベット番というわけです。

G番の時計の台数自体が少ないこともあり、希少価値の高い個体となっています。

特に「G0」個体は更に限られた台数しか製造されていないことからマニアの間では特に需要の高い個体として知られています。

次に有名なのはデイトナRef.16520でしょう。

このモデルは1988年から2000年の間生産されたモデルです。

コスモグラフ・デイトナの第四世代であり、現在のデイトナのひな形と言えるデザインで有名ですがこのモデルも一部のシリアルの個体は価格が変化します。

2000年に後継モデルであるRef.116520が登場により、生産が終了しました。

その最後のシリアルである「A番」、もしくは「P番」は高い価値を持ちます。

基本的に生産が終わった時点での最後のシリアルナンバーが人気が高く、中古市場でもプレミア価格がついています。

一見ただの番号が思わぬ価値を秘めていることが分かります。

冨田質店ではロレックスをはじめとした腕時計やジュエリー、ブランド品などの高価買取・質預かりを実施しております。

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プラダ ハンドバッグ

プラダ ハンドバッグの買取を致しました。

セカンドバッグ向きのサイズとなっており、旅行先で大きい荷物を置いてこれを持っていくということも出来ます。

プラダは創設以来親子三代に渡って経営されてきまsた。

中でも三代目のミウッチャの業績は目を見張るものがありました。

デザイナー兼オーナーの彼女はポコノシリーズのデザインや事業の拡大などプラダへの貢献度が一番高いと言えるでしょう。

そんなミウッチャですが、1990年代に入るとセカンドブランドを立ち上げました。

その名はmiu miu、ミウッチャ自身の名前が由来です。

今回はそんなmiu miuについて解説していきます。

miu miu

ミウッチャはプラダの発展、普及を第一に考えていました。

これまでプラダは高級品を中心に生産・販売を行っていました。

そのため、顧客層が固まってしまい、新規開拓に悩んでいました。

そこで、ミウッチャはより幅広い世代に通用する商品群を作ろうと画策しました。

そこで考案したのがmiumiuでした。

品質はそのままになお且つ、リーズナブルな価格で商品を提供するブランドとしてコンセプトを固めました。

ミウッチャはプラダを「日常を贅沢に飾る」ブランドとコンセプトに据えました。

これは普段使っているものを少し良いものにして日常をより楽しくしようという思想が反映されたものです。

これに対してmiumiuは”BAD GIRL”、「やんちゃな女の子」というコンセプトに置きました。

大人な雰囲気を持つプラダとは対照的にガーリーなデザインが主流のブランドとして始まりました。

価格設定もプラダに比べて低めですが、品質は負けず劣らずで高品質なものになっています。

代表的な商品「マテラッセ」

miumiuの中でも一際高い人気を誇るのはマテラッセです。

レザーをベースにキルティング生地を用いたアイテム群のことを指します。

財布からバッグまで幅広く取り揃えられており、ブランドの象徴的シリーズとなっています。

マテラッセは従来のレザーよりも傷がつきにくく、傷がついても目立ちにくいという特性もありました。

マテラッセ登場初期は若者を中心に注目が集まっていました。

やがて、ガーリーではありながらも、上品さも兼ね備えていると大人の女性の間でも人気を博しました。

デザインも背伸びしすぎず、程よい高級感でシーンを選ばずに使え、日常的な場面でも使いやすいラインです。

ミウッチャはかつて、プラダで「日常を贅沢に飾る」という指針を立てましたが、miumiuのマテラッセにもその理念が見えるようです。

それまでに培われた伝統を重んじたうえで、新しいものを作っていくそのマインドがあったからこそマテラッセは大人気商品になったと言えるのではないでしょうか。

冨田質店ではプラダをはじめとしたブランド品や腕時計、ジュエリーなどの高価買取・質預かりを実施しております。

お査定は無料で致します。

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セリーヌ ラージジップウォレット

セリーヌ ラージジップウォレットの買取を致しました。

薄い緑のレザー地が落ち着いた雰囲気が漂う財布です。

淡い色合いなので春物とも合うでしょう。

今回買い取らせて頂いた財布など革製品は現在、様々な用途・場所で利用されています。

今回は身近な革製品のあれこれをオムニバス形式で紹介していきます。

革の記念日

革の記念日というのはご存知でしょうか。

11月3日は革の記念日なのです。

文化の日なのですが、それと同時に「いい(11)レザー(03)」の日でもあります。

レザー製品の魅力を広めたいという思いから日本皮革産業連合会によって制定されました。

このレザーの日は形式だけの記念日ではありません。

この日には様々なイベントが開催されます。

レザー製品の即売会もありますが、注目度が高かったイベントは「ベストレザーニスト賞」です。

モデルや俳優、アーティストといった各業界のレザー愛用者がノミネートされ、男女それぞれ一名が受賞します。

レザーが単に似合うだけでなく、意外なものとレザーの気味あわせなど斬新な魅せ方で受賞された人もいるようです。

2020年度以降は開催されていませんが、再び開催されることが楽しみです。

このように、レザーに親しみを持つために記念日が制定されているのです。

まるで焼肉!?革の部位

革にはそれぞれ用途に合わせた部位を使って製品を作ります。

一枚の革から使う分だけ切り取るという使い方はしていません。

例えば、ベンズやバットと呼ばれる部分。

これは牛の背中やお尻にかけての革で、非常に硬い素材です。

柔軟性がなく、厚みもあるのでベルトに用いられます。

また、肩の部分の革であるショルダーレザーは牛が頻繁に動かす部位の革なので、柔軟性が抜群です。

鞄のベルトなど主に柔らかさを求められる際に使われます。

更にはベリーと呼ばれる牛革もあり、これはおなかの革を指します。

やわらかく薄いので加工のしやすさは抜群ですが、面積が限られているという欠点もあります。

バッグの内張りや財布などに使われます。

上記のように、部位ごとに製作される製品が変わってきます。

革は採取する動物の種類でも材質が異なり、それぞれ異なる性質を発揮します。

ですが、同じ動物でも使用する部位によってまるで別物の強みを持っているのです。

特に大きな面積の革を採取できる牛革は特にその傾向があります。

書いているうちに部位の話しているとなんだか焼肉の説明みたいだと感じるのは自分だけでしょうか。

SDGsと革

近年では、SDGsが至る所で提唱されています。

その動きはもちろん革製品にも波及しています。

やはり、動物の革を採ってそれを加工しているので、サステナビリティの点では問題視されます。

革というのはやはり嗜好品ですから、必需品ではないのにそれのためにわざわざ動物の命を奪うのはどうなのかと議論になっているようです。

そこで、革の生産方法の見直しが行われています。

例えば、食用の牛の食肉加工時に発生する副産物の皮を革へ加工する施策もあります。

これは逆に畜産業で問題になっていた食肉加工の際に廃棄する部分が多いことの解決も同時に達成していると話題になりました。

また、革を加工する際に大量の薬品と水を使用することも問題視されていました。

特にタンニングという過程では排水や薬品が使われて、環境の負荷が大きい作業でした。

そういった問題を解決すべく、植物由来のタンニンを起用したり水が循環するシステムを導入することで、一枚の革の生産あたりで発生する廃棄物を減らす効果が生まれています。

我々の次の世代にも革製品を使ってもらうためにも、いかにして環境への負担を少なくできるか、日々研究が行われています。

我々も今手元にある革製品を手入れを行い、少しでも長持ちさせてSDGsに貢献していきましょう。

冨田質店ではセリーヌをはじめとしたブランド品や腕時計、ジュエリーなどの高価買取・質預かりを実施しております。

お査定は無料で致します。

「この財布、もう使わないな・・・」

そんな時は是非一度冨田質店へ!

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クリスチャンルブタン 長財布

クリスチャンルブタン 長財布の買取を致しました。

スパイク状の装飾のインパクトが強い商品となっています。

ルブタンは近年フランスにて誕生した新世代のブランドです。

歴史こそ長くないものの、その功績は目を見張るものがあります。

今回はそんなルブタンについて見ていきましょう。

ルブタン 誕生前夜

ルブタンは1991年のパリで誕生しました。

創設者はクリスチャン・ルブタン、自分の名前でブランドを立ち上げました。

クリスは生粋のパリっ子でした。

彼は1964年、家具職人の家に生まれてきました。

彼は幼少期のころからナイトクラブに通う子どもでした。

その中でもパフォーマーたちの華やかなファッションを見るのが好きな少年でした。

そんな中、彼はある日、靴に興味を持ちます。

このことがきっかけで彼は靴のデザインをしてみたいと思うようになりました。

それから彼はずっと学校では授業中に隠れて靴の絵を描き続けました。

そこでの経験を活かし、彼はデザインの専門学校に入学し、卒業後はシャルル・ジョルダンの元で働く事になります。

シャルルは当時、ディオールの靴のデザインを担当しており、クリスは彼の技術やノウハウを吸収しました。

また、シャルルはその人脈の広さから様々なブランドに顔がききました。

このおかげでクリスはシャネルやイブ・サンローランなどブランドからブランドをフリーランスのデザイナーとして渡り歩き、学ぶことができました。

ブランドからブランドへと所属を変えながらデザイナーの仕事や経験を積み重ねた後、ついに1991年に自身の名前を看板に掲げました。

当時20代後半のことでした。

 

短期間での発展

ルブタン創設の1991年にいきなり最初の大仕事が舞い込んできます。

依頼相手はなんとモナコのカロリーヌ妃でした。

一国のお妃は若き靴デザイナーの実力を高く買っており、ルブタンに靴の製作を依頼しました。

クリスはその期待に見事に応え、結果として王妃はルブタンのヒールの愛用者になりました。

更には、王妃の履く靴がメディアなど表舞台に現れると大きな宣伝効果を生み出しました。

このことが世界中に広まり、多くの富裕層を釘付けにしたのです。

その2年後にはブランドを象徴するデザイン「レッドソール」を製作し、販売を開始しました。

これは黒地のハイヒールの裏側を赤色を差し込んだデザインとなっており、お互いがお互いを引き立てる色の組み合わせになっています。

この商品コンセプトはあるものから着想を得たものでした。

それはマニキュアです。

従業員の1人が休憩中にマニキュアを塗っている時にクリスは

「これを靴でもできないだろうか?」と考えました。

そのアイデアを形にしたものがレッドソールでした。

このルブタンの代名詞とも言える商品はマドンナが特に気に入りました。

楽曲のMVで事あるごとにレッドソールを履きました。

偉大なアーティストの靴としてこれも世界中から注目され、現在では年間50万足も売り上げるヒット商品になっています。

創設からわずか30年ほどでありながら、クリスの独自のセンスとセレブに愛される商品展開で世界的ブランドに成長したのは目を見張るものがあります。

今、最も勢いのあるブランドと言えるでしょう。

冨田質店ではクリスチャンルブタンをはじめとしたブランド品や腕時計、ジュエリーなどの高価買取・質預かりを実施しております。

お査定は無料で致します。

「この財布、もう使わないな・・・」

そんな時は是非一度冨田質店へ!

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