CITIZEN プロマスターBN150-28Eの買取を致しました。
黒の文字盤とベルトがスポーティーな印象を与えます。
先日のSEIKOの5スポーツに続き、国産時計に注目してみましょう。
今回はCITIZENの歴史を振り返っていきましょう。
「日本の時計を作りたい」
CITIZENの創業は1918年のことでした。
創業者は山﨑龜吉で、屋号は「尚工舎時計研究所」とされていました。
この時の日本は明治から大正の時期で近代化の最中でした。
西洋の技術や文化を積極的に学び、持ち帰り、自分たちにも出来るようにする動きが活発に行われていました。
兵器、薬、語学といった近代技術から憲法や議会など近代的観念まであるとあらゆる事柄が海を越えて入ってきました。
その中には懐中時計もありました。
龜吉は海外留学でスイスやアメリカを訪れて、その中で時計に出会いました。
彼は時計の本場で時計の製作技術を学び、帰国後は日本でも時計を製作できる体制を作りたいと思うようになりました。
その思いで立ち上げたのが章尚工舎時計研究所でした。
時計は精密機械なため、開発と生産体制の確立は一筋縄ではいきませんでした。
それでも研究を進める事6年、ついに初の日本製懐中時計が製造されました。
この製品は完成当初には名前が付いていませんでした。
龜吉はこの時計の名前を知人の貴族院議員の後藤新平に相談したところ、シチズンと名付けました。
CITIZENとは「市民の」という意味があり、市民に広く普及することを願ってこの名前に決まったのでしょう。
この懐中時計の完成から更に6年後に尚工舎研究所を会社として運営することになります。
会社の名前は初めて作られた時計の名前にちなんで「シチズン時計株式会社」に決まりました。
シチズン時計はこうして国産時計メーカーとしての第一歩を踏み出したのです。
技術的革新の数々
戦後のCITIZENは苦境を乗り越えて大企業へと成長していました。
昭和後期になるとSEIKOやカシオなど他の時計メーカーも台頭してきました。
まさに群雄割拠の時代に突入しました。
しかし、国産時計の祖は伊達ではありません。
長年培われてきた技術は随一のものでした。
まずは1967年にクロノマスターを発表。
当時、携帯する時計は懐中時計から腕時計に変化していました。
ですが、腕時計は置時計に比べると精度は低いものでした。
そこでクロノマスターの開発に着手しました。
クロノメーターを初めて内部に埋め込み、スペースの少ない腕時計でも高い精度を維持できる機構に確立に成功しました。
このモデルはクロノメーター検定優秀級という称号も獲得しました。
そして、1976年にCITIZENは世界初の試みとなる太陽光電池を内蔵した時計を製作しました。
この時代はオイルショックが起きた影響で燃料資源などを見直す動きが出てきました。
そこでCITIZENは従来の電池とは全く異なる方法で時計を動かす手法として太陽光電池の採用に至りました。
ソーラーで稼働する時計は現在でも多数存在しますし、CITIZENがいかに先見の明があったのかを思い知らされますね。
そして遂には会社独自のソーラーパネルも開発してしまいます。
2001年にエコドライブエクリッセというモデルを発表しました。
この時計にはフレキシブルソーラーセルという素材で稼働します。
この新型太陽光電池は自在に変形、加工することを可能にした驚異の新素材でした。
これにより、時計のデザインを損なうことなく、動力源を確保できるようになりました。
初めて国産時計を作ったCITIZENは現在でも時計界の初めてに挑戦しているのです。
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